池田理代子『ベルサイユのばら』①

池田理代子『ベルサイユのバラ』20180304①.mp3 2018年3月4日定例読書会録音。今回より池田理代子『ベルサイユのばら』を四回に渡りご紹介します。言わずと知れた漫画の古典でございますが、一読すると宝塚歌劇の題材として定着している理由が良く分かります。フランス革命がテーマになっている作品でもあるので、この会で取り上げるのにも非常に親和性があるようにも感じられました。初回は作者の池田先生について、そしてベルサイユのばらが発表された当初の時代について主に語っております。

続きを読む

ジョルジョ・アガンベン『開かれ 〜人間と動物〜』④

ジョルジョ・アガンベン『開かれ 〜人間と動物〜』20180325④.mp3 2018年3月25日読書会録音。アガンベン『開かれ』の最終回でございます。前回の話から人間/動物という線引きを画定すればするほどそれが出来ない「残余」の領域が存在することが語られます。では、なぜこれが政治哲学の問題となるのか?アガンベンによると、それが人間の中において「人間学機械」としてその線引きのシステムが作動してきたとのことです。それは人種差別の問題、奴隷制度、オオカミ男や吸血鬼のメタファーなどで顕在化してきました。線引きのシステムは非常に恣意的で、つねに線引きの規準は曖昧な訳です。 そういう状況だからこそ、人間が人間として閉ざすのではなく、異なる存在に対しての「開かれ」をどれだけ意識出来るのかというところに人間学機械に陥らないヒントがあるのではないかということを最後はアガンベンが主張します。ただしそれは決して心地の良い事ではないかと思いますが。 詳しくは、ぜひ内容をご聴取下さいませ。 ※録音環境の都合で若干ノイズが混じっております。ご了承下さい。

続きを読む

ジョルジョ・アガンベン『開かれ 〜人間と動物〜』③

ジョルジョ・アガンベン『開かれ 〜人間と動物〜』20180325③.mp3 2018年3月25日定例読書会録音。アガンベンの『開かれ ~人間と動物~』の三回目でございます。前回まではアガンベンのキー概念や思想の背景について語りましたが、今回から具体的に本の解説に入ります。まずアガンベンはヘブライ教の聖書の挿絵にある頭が動物化された義人達を紹介し、これが人間/動物のあり方をめぐる示唆的なメッセージが込められているのではないかという主張を展開します。また、バタイユの創刊した雑誌『アセファル』の表紙にある無頭人の挿絵から現代の人間の思考の喪失を読み取り、それが前述の動物の頭を持った義人との関係から考えることが出来るのではないかということに関しても言及していきます。 アガンベンのこだわりは、動物/人間という境界線を画定する事ではなく、画定しようとすればするほどその輪郭は曖昧化し、確定が画定が難しくなるのでは無いか・・・ということにあるかと思われます。その辺り踏まえてご聴取いただけると幸いです。 ※録音環境の都合で若干ノイズが混じっております。ご了承下さい。

続きを読む