セネカ『怒りについて』②

セネカ『怒りについて』20190331②.mp3 2019年3月31日定例読書会録音。セネカの『怒りについて』の二回目です。今回はセネカの同時代を生きたローマ帝国の皇帝たちに焦点をあててお話をしています。古代ギリシアとは異なり、古代ローマの哲学者は政治との距離が近く権力者のアドバイザーとしての役割を担いました。セネカも他聞に漏れず、皇帝の教育係・輔弼を行う存在でした。なので必然的に皇帝の在り方によりセネカ自身の運命は振り回されることになった訳です。そして古代ローマの中でもセネカの生きたのは愚帝と呼ばれた権力者たちの治世で、政治は粛清と反逆が繰り返され腐敗の極みに達していました。そしてそのことが逆に、セネカとそしてセネカ哲学を理想高き倫理性を纏う思想へと特徴づけたのかもしれません。 ※今回、『怒りについて他二篇』(セネカ著,兼利琢也訳,岩波書店,2008)および『人と思想 セネカ』(角田幸彦,清水書院,2014)を参考にしました。

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セネカ『怒りについて』①

セネカ『怒りについて』20190331①.mp3 2019年3月31日定例読書会録音。今回よりセネカの『怒りについて』を四回に渡りお届けします。古代ローマの哲学はその歴史的背景から倫理学的な色彩を帯びる傾向が強いです。本著もその色彩が非常に強く出ています。初回はセネカの人となり、そして古代ローマという時代とローマ哲学の特徴について言及しておきます。なぜセネカが怒りについて語るのか、その必然的な状況も分かってくるかと思います。 ※今回、『怒りについて他二篇』(セネカ著,兼利琢也訳,岩波書店,2008)および『人と思想 セネカ』(角田幸彦,清水書院,2014)を参考にしました。

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映画『ボヘミアン・ラプソディ』④

映画『ボヘミアン・ラプソディ』20190203④.mp3 2019年2月3日定例読書会録音。ボヘミアン・ラプソディの最終回でございます。この回では映画を鑑賞した上でのテラサワなりのフレディ・マーキュリー解釈を展開しております。また、映画が投げかけているLGBTの問題について再考し、最後は「ロック」を生きるということを、芸人としてどう考えるかという愚考を述べさせていただきました。(私事ですが、この日はR-1準々決勝の前日でした。かなり̪個人的な熱が入った回になってしまいましたが、どうかご愛敬だと思って聴いていただけると幸いです。。) ※一部携帯電話のノイズが入ってしまっております。ご了承下さい。

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